減税発祥の地ナゴヤの挑戦

~市民税10%減税に対する疑問に答える~

2011年4月 名古屋市長 河村たかし

市民税10%(恒久)減税は、過去2回の名古屋市長選挙において、その是非が争われ、結果、圧倒的な支持を得た、名古屋市民の皆様の「民意」とも言える政策である。

これは、地方自治体による減税(標準税率未満の普通税の税率)を可能にする法改正(地方財政法・地方税法)の趣旨を、全国の自治体に先駆けて実現したものであり、民主党政権が掲げる「地域主権」を最も具現化する政策と言える。

私自身は、この減税に4つの大きな意味を見出している。

まず、1点目は、有力な経済政策の1つと言えること。減税により、家庭や企業の可処分所得が増えるため、市民生活の支援や地域経済の活性化にもつながると考えている。本市が昨年10月に実施した市民アンケートでは、6割の方が「預貯金」ではなく、「日常の生活費に活用した(する)」と答えており、市民の生活支援にしっかりと寄与していることが確認された。また、市民税10%減税と規制緩和などを組み合わせた平成版「楽市・楽座」へと発展させていけば、都市の魅力は高まり、世界中からヒト・モノ・カネを名古屋へと引き寄せられる可能性も秘めており、そうなれば減税分を上回る経済効果も期待できる。

2点目は、減税により、プライスキャップ(料金上限規制)をつくり、真に実行性のある行財政改革を促すということ。民間企業が値下げに伴いコスト削減を行うのと同様、始めに歳入(税収)の上限を決めることにより、その範囲でしか行政活動を行うことができず、必然的に経営改善が起きるのである。無駄遣いなどは到底できなくなる。すなわち、安易に増税による税収確保に走るのではなく、みずからに高いハードルを架す、言わば、「ポピュリズム」の真逆を行く、極めて厳しい政策なのである。実際、本市では、平成22年度に実施した市民税10%減税の財源161億円は、すべて行財政改革により確保した。

3点目は、減税は、納税者への感謝の気持ちを表す究極のメッセージであるということ。福祉、教育などが行政の重要な政策であることは間違いないが、これらは納税者が税金を納めて下さって初めて成り立っている。こうした原点に立ち返り、「よりよい公共サービスをより安く提供すること」で、納税者の皆様に報いる、そして、今まで以上に気持ちよく税金を払っていただくことが重要なのである。

4点目は、減税により、公益的な活動に寄付が集まる社会を実現するということ。減税分を市民の皆様の元へ戻し、その使い道をその手に委ねることにより、例えば、減税されたお金の一部を地域社会、公益事業、チャリティーなどへの寄付に回していただくことも可能になる。「日本には寄附文化がない」と言われて久しいが、減税なき所に寄附文化は生まれないのであり、私は、減税することこそが、寄附社会への扉を開く第一歩、転換点になると信じている。

これらの4つの大義の下、市民税10%減税は、平成22年度にスタートし、平成23年度は議会に否決されたため実施できないが、現在、平成24年度からの再開に向けて取り組んでいるところである。

こうしたなかで、誠に残念としか言いようがないが、未だにこの政策に対して様々な誤解が存在しているのも事実である。

例えば、「減税をしたから借金(市債残高)が増えた」あるいは「起債(市債の発行)して減税している」との指摘があるが、言うまでもなく、制度上、減税財源に地方債を充てることは認められていない。ちなみに、減税を実施する地方自治体においては、起債する際に総務省の許可が必要になるが、現に平成22年度において、減税による減収額を上回る行財政改革の取り組みを予定していること、世代間の負担の公平に一定の配慮がなされていることから、許可されている。なお、平成22年度当初予算においては、前年度に比べ市債残高が増加しているが、これは、本来、国から配分されてしかるべき地方交付税の肩代わりである「臨時財政対策債」や、私が市長に就任する前からの課題を先送りすることなく抜本的に改革するための「第三セクター等改革推進債」など、特例的な市債の発行によるものであり、減税の影響ではない。

「普通地方交付税をもらいながら減税をするのはいかがなものか」との指摘もあるが、そもそも名古屋市域内の国税収入1兆5,299億円(平成21年度普通会計ベース)のうち、本市に対しては地方交付税、国庫支出金など1,476億円しか配分されておらず、市内の納税者の皆様が納めて下さった税金のほとんどが当たり前のように国に上納されているのが現状である。普通地方交付税は、そのうちのごく一部(平成21年度ゼロ円、平成22年度33億円)が戻ったに過ぎず、実際は「交付」ではなく、「還付」である。普通地方交付税額自体も、減税後の税率ではなく、標準税率により算定されることから、減税の影響は全くない。なお、普通地方交付税が交付される、いわゆる「交付団体」においても、自治体固有の施策の実施が制限されることはない。

「一律減税は、お金持ち優遇である」との指摘もあるが、これは、制度上、地方税は単一税率とされているためであり、確かに、一律減税にすると、高額所得者の方がより減税額は多くなるが、元々の納税額が高いことも考慮しなければならない。なお、本市では、減税の恩恵が薄い方々に対しては、国民健康保険料の軽減、水道料金の引下げなど、減税とは別個の福祉施策、生活支援策によってしっかりカバーすることとしている。

以上、本市の減税に対する主な誤解とそれに対する答えを申し上げたが、実は、一番大きな誤りはこれらではなく、国政における貯蓄投資バランスを無視した経済理論、増税政策なのである。

今、国政においては、与野党を問わず、「増税を唱えることこそ責任ある政治」という、言わば「庶民を守る」という政治の役割を放棄したかのような主張が至る所で繰り広げられている。「失われた10年」が、橋本政権の消費税増税などにより、回復どころか深い谷間に落ち込んでしまったように、現下の厳しい経済状況の中で増税を行えば、庶民の暮らしは今よりもっと苦しくなるであろうし、民間経済も壊滅的なダメージを被ることになる。結果、かえって税収が減り、財政規律が破壊されてしまうことは明々白々である。

仮に、財政再建を行うのであるならば、民間を中心に経済のパイを拡大させることにより、税収増につなげていくよりほかないのである。その際に、減税は、無論それがすべてではないが、家庭や企業における可処分所得を増やすという点から、極めて有力な処方箋の1つになる。

今、政治の選択は、どの政党が政権与党としてふさわしいのかが争点となっており、言わば団体戦の様相を呈しているが、私は、近い将来必ずや、「減税か、増税か」という正しい経済学を踏まえた論争に争点が移っていくものと確信している。

私は、よりよい公共サービスをより安く国民・市民の皆様に提供することこそ政治の最も大切な役割だと信じており、このごく当たり前の政治を、名古屋で実現し、すべからく日本中に広げていきたいと考えている。


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